咲いてく Garden Studio
時は1990年4月 大阪市で国際花と緑の博覧会が開催されました。
期間は4月~9月の5ヶ月間。 日本では都市の緑化事業や造園業、景観整備業が盛んに行われた時期でもあります。
高度成長の総仕上げ、バブル景気に重なる時期でもあり、盛り上がりは最高潮に達し贅沢な設備が展示されました。
テーマは「花と緑と人間生活のかかわりをとらえ21世紀へ向けて潤いある豊かな社会の創造をめざす。」というものです。
今思えば、日本と世界の大きなターニングポイントとなる時期ではなかったかと思われます。
この頃から少し前にはランドスケープアーキテクチャーという言葉も日本で市民権を得てきていました。
国策も豊かさを育むことに重点を置き、景観整備事業が大いに開発されていました。
博覧会では世界83カ国の庭園が紹介されるということもあり、造園家などは大いに沸いていたものです。
この国際博覧会が日本におけるガーデニングの普及に大きく影響したとも考えることが出来ます。
ガーデニングという言葉が使われ出したのは1990年代半ば頃です。
まだ、インターネットも殆ど普及していない時代ですが、国際便などで個人輸入を始める人たちが出てきた頃でもあり、市民から見てグローバル化の幕開けの時代です。
事業者に依存しなくとも海外からお気に入りの材料を自分自身で手に入れることが出来る人たちが増えてきました。
さて、私の個人的なガーデニングに対する偏見は次のようなものでした。
「園芸と言えばいいのにガーデニングと呼ぶのはなんだか気どっているんじゃないの?」
「自然風というけれど、園芸だって自然じゃないか? いったいどこが違うというのか?」
「古びた木製家具なんかを集めてきて懐古趣味な遊び?」
「笑顔のYoung Ladyの楽しみ。」
日本にガーデニングのイメージを作り上げたのはターシャではなかったでしょうか。
米国の都会生活を離れ、バーモントに移り住んだターシャ・デューダは、1800年代の古き良き時代の生活をお手本に家を建てGardenを作りました。
その写真集がエッセイと共に日本に紹介されます。
それが反響を呼び起こし、TVで特集が組まれ更に拡大します。
バブル景気も冷め、自分たちが探し求めていた理想の生き方の端くれがソコにあるような気がして共感を覚えたのかもしれません。
ターシャの庭の紹介からガーデニングというものへの理解が出来たように思います。
あの頃から年々も経っていますが、日本にもガーデニングに似た環境が存在していることに気づきます。
素材を大切にする日本庭園はガーデニングとあまり本質が違わない気がしています。